ブロックの牛肉入りカレー

疲れている時は牛肉を食え

うちの母親は、牛肉が万病に効く薬だと思っているところがあり、何かあるたびにすき焼きやら、ハンバーグやら、焼肉やらで牛肉を食べさせてくれた

それがいかに恵まれていたのかと気づいたのは一人暮らしをしてからで、スーパーに行って100グラム200〜250円くらいの牛肉を目の当たりにする度に買う、買わないで十数分は悩む

陽に当たっていないからなのか、運動不足だからなのか、なにもしていないのに心身の調子が悪い冬

何を食べてもいまいち元気が出なくてこれはいよいよやばいかもしれんと思って、いつもは素通りする牛肉コーナーで足を止めた

オーストラリア産のシチュー用のブロック肉

一人暮らしを始めてからこんなブロック状の牛肉を買ったのは初めてだった

その日作ったカレーは、普段葉野菜やらきのこも平気で入れちゃう邪道カレー(?)しか作らない私からしたらにんじんと玉ねぎと牛肉という王道カレーの具材が3つも入っていた

(ジャガイモの代打はカボチャ(なぜなら栄養価高そうだから)、かさましでキャベツ)

時期にもよるんだろうけど、りんごは1個200円近くするし、大好きないちごも桃なんか手軽に手を出すにはちょっとお高すぎる

この前なんか食パンが190円で売られていて買うのをやめたくらいだ(他の日に見たら30円くらいは安かったけど)高級食パンでもなんでもないのに200円くらいするの高くない!?

東京、物価高い

そういえば東京に来てびっくりしたことがあって、町中にめちゃくちゃ海鮮丼をテイクアウトで売ってる店が多いってこと

大阪、少なくとも私の生活圏内では海鮮丼を売ってる店なんか見たことなかった

その代わり、東京には粉もの(焼きそば、お好み焼き、たこ焼き)を売ってる店が少なくて、気軽にソースを摂取できないのがめちゃくちゃ困る

大阪には狭くて今にも潰れそうな外観の屋台みたいな粉なもの売ってるお店が色んなところにあって昼ごはんとかよく買って食べていた

大阪に旅行に来る他府県民に「美味しいたこ焼き、お好み焼きのお店ある?」って聞かれることがよくあるんだけど、ぶっちゃけそういう地元の店で買う粉ものがたぶん一番美味しいからいつも返事に困ってしまう、なんならもう自分で焼いたほうが美味いっすよ、粉もんって

スーパーの惣菜とか会社に来る弁当屋の弁当を食べて「味か濃い……」と思う度に東京にいるんだなぁとしみじみ思っている、いやこれはたまたま味が濃いだけなのかもしれない

 

 

 

 

成人式の翌日

大人になったら着たいものを着たい時に着れるだろって思っていたけど実際そんなことはない

成人式にも大学の卒業式にも出席しなかったから振袖とか袴っていう晴れ着姿の写真がないことを大人になってからちょっとだけ後悔している

だから着るタイミングがあるならその時に着ておいたほうがいいとわかったので次の晴れ着チャンスがあれば逃さないつもりでいるけど、結婚式挙げる予定がないからこのままいくと次の行事ごとで着るそれっぽい服って死装束なんじゃね?と思ってめっちゃ萎えた

写真館で写真を撮ってもらったのは就活の時に必要だった証明写真と、ポートレートを撮りに行ったのが最後

ちょうど3年まえくらい

親しい友人はおらず、サークルにも集まって遊びにいくような知り合いの集まりみたいなものに所属していなかった私は就活の際に提出しなければならなかった「証明写真ではない写真(できればそれで大学生活での様子がわかればよい)」というものを持っていなかった

しかたなく写真館でただの私服のポートレートを撮ってそれを添付して色んな会社にESを送りつけていたけど(強引な解決手段)、ESの内容が悪いのか、添付した写真が悪かったのか、書類審査を通ったことはなかった

決して、大学生の間ほんとうに何にもしてなかったわけじゃない。友達も人脈もできなかったけど、1人で海外旅行をしたり絵を描いたり、小説書いたりしてたことは今の自分のなかで割と良かった時間として残ってる

ただそれが会社に求められてるスキルなんかと言われたらチームワークを重んじるような組織には向いてないっちゃ向いてないかもしれん、まぁ実際向いてないかもという自覚はある

嬉しかったことは、今の会社の面接で一人で海外に行って1ヶ月くらいふらふらしてたことを私の持ち味として認めてくれたこと

今の会社で働くことにあんま労働意欲がないし奉仕精神もないけど、唯一面接のその瞬間の会話だけはありがたいなと思っている。今でもかわらず

ちなみに振袖を着なかったことで浮いたお金は語学留学の費用として使わせてもらい、卒業式の時に袴を着なかったことで浮いた金は上京の資金としてもらった

晴れ着姿の写真はないけど、我ながら良いお金の使い道だったんじゃないかなって思ってる

(卑屈なことを言うと、こんな私の写真撮るのに大金使うのアホでは?という気持ちがあったのは嘘じゃない)

 

 

2019/3/7 フランス

 

2024年始まって1週間

頭の中がごちゃごちゃしていて、結局何もできなかった昨日はなんだったんだというくらい今日は体も頭もまだ動く方だった

悩むだけ無駄な気がかりなことのせいで、鬱々と今生きてる意味を四六時中考えていたのはなんだったんだ

逆に今は「どうにでもなれ!!というか多分どうにかなる」という持ち前の将来に対する楽観性と衝動性が先走っているのでこれはこれで危ないとは思う

ぶっちゃけどうにかなってると思ってるのは自分だけで、客観的に見たら多分どうにもなっていないのだけど経験から学習しない性なのでこれからもずっと綱渡りみたいな人生を送ってくんだと思う、マジでやめたい

2024年が始まって、気づけば1週間が経っていた

2018年ってつい最近の字面をしてるのに実際6年前ということが結構ショック

時間が過ぎるのがとてつもなく早い

東京に引っ越してきてから2年が経ったし、今のジャンルでオタク始めて4年が経つ

年齢だけ無駄に重ねて中身が置いてけぼりになっている感じがして、「年相応」に見られたいと強く思うけど、そもそも年相応の基準というか比較になるような人間が周りにいなくて(学生時代の友人との関わりはないし、今の職場に同期がいない)なんだか宙ぶらりんだ

世間でいうところの結婚適齢期で、子供産んでる人もいるような年齢

結婚したい気持ちも子供が欲しい気持ちもミリもないけど「大人」に見える責任感を手に入れるにはもしかしてそういう人生のステップを踏まなきゃダメなんだろうかと思ったりする

せめて仕事に対して上昇志向が良かったのかもしれないけど、今のところなくて、いや、没頭できる仕事を与えられたらやるけど自分からは進んでやりたくないという感じで、自分の情けなさが際立つ

それでも、1年ぶりに会った祖母に「すっかり東京の人になって」と言われて、少しは昔の自分からは変わっているんだろうなと思い込むしかない

毎年、何も成しえずに終わってしまうので今年こそなにか成果を持って来年を迎えたいな

せめて、老いていく外見においていかれないくらいの中身が欲しいので